施術者プロフィール

鍼灸治療院ASSA 代表 斗谷麻美

1990年 生まれる

2009年 鍼灸師を志し、
京都仏眼鍼灸理療専門学校へ入学。
朝はコンビニで働き、昼は学校、夜は接骨院で
技術を磨くために働く日々を送る。

2012年 念願叶い、
鍼師・灸師・あん摩マッサージ指圧師の
3つの国家資格を取得。

2012年~2018年 鍼灸、整体法の修業。
延べ約8200人の施術経験を積む。
その他、マクロビオティックを学び、
正食協会師範科を卒業。

2018年 鍼灸治療院ASSAを開業


幼少期~鍼灸師を志した原点~

↑とびっきりおしゃれをした時の写真。
セー○ームーンが大好きだった5歳時代。

私は三姉妹の末っ子として生まれました。

姉たちと年が離れて生まれたこともあり、
家族みんなに可愛がってもらっていたようです。

ところが、生後11か月の時に
原因不明の病気で入院することに。

無事に完治することができたのですが、
半年ほどの入院生活が続き、

家族には大変な心配をかけたと
聞いています。

成長が遅く、
運動神経が悪かった私は、

引っ込み思案な
大人しい子どもに成長します。

私自身、
おぼろげな記憶ですが、

動くことよりも考え事や空想をするのが
好きだったことを記憶しています。

そんな私が好きだったのが、
家族にマッサージをすることでした。

家族にしょっちゅう肩もみやマッサージを
していたのですが、喜んでくれるのが嬉しくて、

「気持ち良いよ」と褒めてくれることが
子ども心にとても誇らしかったのです。

小さな手で力いっぱいマッサージするので、
すごく疲れるのですが、

それ以上に喜ぶ顔が見たくて
いつも張り切ってやっていたのを
覚えています。

今思えば、この頃の経験が、
「人を癒す仕事がしたい」と
後に決意する最初のきっかけでした。


自信が持てなかったあの頃

小学生になった私は好きなマッサージは
変わらず続けていましたが、

外で遊んだり、絵を描くことが好きな
どこにでもいるような子どもでした。

ただ、大病こそしませんでしたが、
物心ついた頃から手足の多汗症が
あったため、

常にハンカチは手放せず、
汗でテスト用紙がボロボロになったり、
手の皮がふやけてしまうことも。

それでも、恥ずかしさから
周囲に打ち明けられずに
人知れず悩む日々を過ごしました。

また、東洋医学を学んだ今だからこそ
わかることですが、

多汗症の場合、通常と比べて
体力を消耗しやすい傾向があります。

そのため、当時の私は疲れやすく、
体調を崩すことも多々。

そういった体質にも
小学生~高校生までの間
長らく悩むことになりました。

欠点だらけの自分の体が恨めしく、
この頃はとにかく自信がなかったです。

自分には大した価値がない、
夢なんてどうせ叶わない、などと

考えていたのを覚えています。

高校生になり、
「鍼灸」に出会うまでは…。


鍼灸との出会い

↑17歳の文化祭にて。

私が自分の進路について
考え始めたのは17歳の頃です。

周囲と自分の感覚や価値観の違いに
違和感を持つようになっていた時期で、

自分の個性を受け入れることができず
人から「変わってる」と言われるのが
非常に嫌だったことを覚えています。

その頃、丁度、世界的な不況から
派遣社員の解雇や雇止めなどが続出し、
いわゆる「派遣切り」が
大きな問題となっていました。

当時の世の流れから
「自分にしかできないことがしたい。

代わりの利かない人間になろう」と
漠然と将来を考えるようになっていた私。

どんな道に進みたいのか、
自問自答していた時に、
ふとあることを思い出しました。

それは、幼い頃に
マッサージをしていた記憶です。

喜んでくれることが嬉しかったこと、
誇らしかったことを思い出しました。

そして、自分にしかできないこと、
それは「人を癒す仕事」なのではないか
と考え始めるようになったのです。

それからというもの、
色んな学校のパンフレットなどを取り寄せて、
「人を癒す仕事」を探すようになりました。

そして、ついに「鍼灸」に出会います。

鍼灸に惹かれた一番の理由は、
鍼灸学校のパンフレットに載っていた
「自然治癒力」という言葉がきっかけでした。

言葉の意味はわかりませんでしたが、
鍼灸には自然治癒力を高める力が
あるということが載っており、
とても気になりました。

調べてみると、
自然治癒力とは誰もが本来持っている
自分で自分を治す力であり、

それをしっかりと引き出すことで
体は健康になるとのこと。

「じゃあ、私の体にもそんなパワーがあるの?」
とコンプレックスの塊だった自分の体にも
そんなすごい力があることに衝撃を受けました。

言葉では言い表せないほど感動し、
自分の体を改善するためにも
鍼灸を学びたいと思いました。

そして、鍼灸の道に進むことを
決意しました。


個性を爆発させた専門学校時代

高校卒業後、
すぐに鍼灸の専門学校に
入学しました。

朝はコンビニのアルバイトに行き、
昼は学校、夜は接骨院で勉強のために
働きました。

休みの日には勉強会に行き、
電車通学中もその時間が惜しくて
本をひたすら読んでいた日々。

やりたいことを勉強するのはこんなに
楽しいのかと、本当に充実した学生時代
であったと感じます。

その中で、特に頑張っていたことが、
体質改善のための実験でした。

食生活に気を付け、
もちろん鍼灸もたくさんしました。

その他にも、時に断食をしてみたり、
古い書籍で見つけた体操をしたり、
生の玄米を食べてみたり…

とにかく良さそうと思うものには何でも
やってみました。

食事は一口30回以上噛み、
胃腸のために常に梅干しを持ち歩き、
自然療法の本を愛読書にしている私は
周囲から見て、かなり変わっていた
と思います(笑)

でも、不思議と「変わっている」と
言われることがそんなに嫌で
なくなっていました。

たまに失敗して大変なこともありましたが、
試行錯誤を繰り返すうちに
体に少しずつ変化が表れます。

それは、疲れにくくなっていること、
そして、汗の量が減っていること。

いつの間にかフットワークが軽くなり、
「あれもしたい!」「これもしたい!」と
どんどん好奇心旺盛になっていきました。

そして、二年ほどたった頃、
以前よりも考え方が前向きになっていること、
積極的な性格になっていることに気づきます。

それと同時に、
ずっと受け入れられなかった

自分の個性も自分の体も
好きになることができました。

決して、楽な道のりではなかった分、
こういった変化に気がついた時は
本当に感慨深い想いでした。

「体が元気になると心まで元気になれるんだ」
と身を持って学んだ経験です。

そして、
今度はこの自分の知識や経験を
誰かを元気にするために使いおう!

と心に決めました。


修業時代

国家試験に合格し、
いよいよ鍼灸師として患者さんの前に
立つことができました。

ただ、当然ですが、
すぐに腕が上達するわけではありません。

私には尊敬する師匠が二人いるのですが、
師匠の見よう見まねをしたり、

手取り足取り指導していただいたり、と
たくさんのことを教えてもらいました。

勉強と実践の繰り返しで休みの日も
勉強会に出かけていることが多く、

時にふらふらになりながらも
経験を積み上げることで、

確実に鍼灸師として
自信をつけていくことができました。

また、実際の現場では
辛かったこと、苦しかったことは
挙げればキリがないですが、

それと同じだけたくさんの
嬉しい出来事もありました。

それは、悲痛な表情だった方が施術した後は、
笑顔になって帰られることです。

私との出会いで明るい気持ちになれた、
人生が変わったと
言ってくださる方までいて、

涙もろい私は感激して
こっそり涙することも。

そんな温かい言葉に背中を押され、
私の地元である高槻という地で
鍼灸院を開き、

自信がなく後ろ向きだった自分を変えてくれた
鍼灸の力を広めていく決意をしたのです。


鍼灸治療院ASSAを開業

鍼灸師として
生きていく決意をした頃から時は経ち、

今の私はずっと憧れていた理想の
鍼灸治療院を作ることができました。

どんな人にも夢中になれるもの、
輝ける場所があります。

私にとってはそれが鍼灸でした。

ずっと自分が好きになれかったあの頃。

鍼灸に出会った今、
長所も短所も含めて
私は自分のことが好きです。

せっかくの人生、
自分を嫌いなままでは悲しすぎます。

自分の価値は自分で決めるものだと思うのです。

誰もが自分のことを好きになってほしい、
自信を持って、自分らしく輝いてほしいと
願っています。

あなたの魅力をより輝かせる
お手伝いをするために、

常に技術を磨き続ける鍼灸師で
ありたいと考えています。


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